多摩市出身元Jリーガー・坪井慶介さん&田村直也さん対談<後編>終わりは、はじまり

2021/12/08 Wed
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同じ多摩市をルーツに持ち、2019年に同時にプロ選手生活に終止符を打った2人の元サッカー選手がいる。
浦和レッズで長く活躍し、日本代表としてドイツワールドカップにも出場した坪井慶介さんと、ベガルタ仙台と東京ヴェルディで闘志あふれるプレーが魅力だった田村直也さんだ。

現役生活を退いた今の心境やこれからについて、育った多摩市について、そして今だから話せること。
TAKE TAMA!のオープン記念企画として実現した、2人の「レジェンド」の対談をお届けします。

Writer/Interviewer
キウチトウゴ
Photographer
ゆうばひかり
坪井慶介×田村直也対談 前編はこちら
田村直也(たむらなおや)

多摩市出身の元プロサッカー選手。落合SC、FC多摩から東京ヴェルディユース、中央大学を経て2007年にベガルタ仙台入り。闘志あふれるプレーと右足の正確なキックが持ち味。2014年より地元の東京ヴェルディに移籍しキャプテンを務めるなど、豊富な経験を活かし若手主体のチームを支える。
2019年をもって現役引退し、現在は第二の故郷・仙台にてサラリーマンに転身し、家族を支える。Jリーグ通算317試合出場。
1984年生まれ、さそり座のB型。好きなラーメン屋は堀之内の「にんにくや」

坪井慶介(つぼいけいすけ)

多摩市出身の元プロサッカー選手。鶴牧SCでサッカーを始め、四日市中央工業高校、福岡大学を卒業後、2002年に浦和レッドダイヤモンズに入団し、以降13年間在籍しチームに多くのタイトルをもたらしたスピードとハードなマークが魅力のディフェンダー。日本代表として、2006年ドイツワールドカップにも出場。
湘南ベルマーレ、レノファ山口を経て2019年シーズンを最後に現役を引退し、2020年からはタレントという新たな道へ転身し、解説などで活躍中。Jリーグ通算317試合出場。
1979年生まれ、乙女座のO型。実は温泉ソムリエの資格を持っている。

多摩市出身のサッカー選手というと、佐伯直哉さんや関口訓充選手(ベガルタ仙台)がいらっしゃいますが、多摩出身ということでの交流はありましたか?

坪井

関口の場合は、兄貴が俺と同級生だったんだよね。FC多摩まで一緒だったから『お前あいつの弟か』って話はしました。出身が一緒って繋がりになるよね。今まで知らない存在だったとしても『あ、そうだったの』ってそこから繋がったり。

田村さんは関口選手とはベガルタで一緒にプレーされていましたね。

田村

多摩に帰るときは関口と一緒にFC多摩の練習は行ったりとかはありましたね。

お二人はキャリアが結構進んでから交流をされたんですよね。

田村

僕がTMFCのイベント(田村さん主催のチャリティイベント)にお誘いしたのがきっかけで、3回連続で来てもらいました。

坪井

あれは湘南から山口に移籍するタイミングだったね。

田村

あれがなければ、ツボさんと話す機会も一生なかったと思うので、自分としてもいい機会だったと思っています。

坪井

お互いに『近いな。多摩なんだな』っていう感じで、存在は知っていたんだけど、俺は多摩出身っていうことをあんまり出してなかったから本当にいい機会だったと思う。

田村

多摩出身でスポーツやってる人の集まりとか、そういうのがあればいいのになって思いますね。俺らは現役選手ではないけど、発起人としてはありなのかなとかね。年末年始は、みんなシーズンオフだと思うから、色んな選手に来てもらって座談会みたいな。

それは面白そう!意外と多摩市出身のスポーツ選手っているので、異業種交流みたいな形で、色んな競技の選手たちが集まれたら面白いです!

幼少期の多摩での思い出は何かありますか?

田村

落合の宝野公園に、赤土を囲ってる壁があるんですよ。今って壁打ち禁止ってプレート貼られてるんですけど、落合サッカークラブの中では、小学生のときあの壁に僕が壁打ちしすぎて、その音がバンバンうるさくて壁打ち禁止になったっていう伝説があるんですよ。それを落合サッカークラブの中で「それくらい練習しろよ、じゃないとプロになれないぞ」っていうたとえで出してくれているらしいです。多摩のサッカーのコーチとかに聞くと『あ、あの時の田村くん?』みたいな。僕と直接の関わりはない人に聞いても『あの田村くんでしょ』って、それだけがクローズアップされて残ってるんです(笑)

坪井

俺はね、第二公園の方だった

やっぱりクラブの練習以外でも、公園でずっとボールを蹴っていたんですね。

坪井

そうだね、俺はしょっちゅうやってた。昔からディフェンダーだったけど、友達同士でやるとディフェンダーとかは関係ないからとにかく1対1で。「絶対抜かれない」って言い合って、半分喧嘩になりながら蹴ってましたね。あとは、サッカーとなると中心になる友達がひとりいて、俺とそいつがみんなをチーム分けしてバチバチやっていたのは思い出だね。

田村

選手としての今までのプレーにも、当時身につけた技術が残っていると思います。今はスクールとか溢れてるいけど、自主練っていうのがすごく大事だと思ってる。壁って、まっすぐ蹴ったらまっすぐ返ってくる。ずれたらずれるし。カーブをこっちにかけたらこっちに帰ってくるとか。僕はいろんな技術を壁打ちで学んだんですよね。だからあの多摩市の宝野公園はまじで自分の原点。これは本当に。

坪井

それぞれにそういう原点が絶対あるんだよね。俺はバチバチの攻守で1対1とか、まさにプレーがそういう感じだったから。そこが原点。

多摩で形成された技術が、ワールドカップでも発揮されていたと思うとなんだか感慨深いです…。田村さんは落合SC、坪井さんは鶴牧SCに在籍されていました

田村

鶴牧の練習ってどんな感じでしたか?

坪井

鶴牧は足元の技術練習が多かったね。パス練習とかドリブル練習とか。試合中もパスをせずに蹴りすぎると『つなげろ』って怒られてた。

田村

指導のなかには「育成」と「結果」があるけれど、結果だけじゃなくて両方大切なんだよね。落合もリフティングとか基礎中心の育成だった。リフティングを何百回以上じゃないと練習をさせてもらえないとか。そういうコーチがいてこそ僕らはここまで来てると思ってるんだよね。結果だけを追うクラブチームとか、意外と多いから。

そういう基本の技術だったり、公園のサッカーで培った1対1の強さだったり、それぞれの原点が垣間見えますね。

田村

公園でもボール禁止っていうのも、最近は結構多いから悲しいよね。それぐらい当時の多摩市は恵まれていたんだと思う。

坪井

俺らが当時練習してた公園も、サッカーやってる子ってほとんど見かけない。もちろん今はクラブチームの練習も増えてるから良い悪いって言えないけれど。

田村

でも、遊びの中で生まれることって、めちゃくちゃ大きいと思う。プレーの間合いとかしつこさって、スクールの練習だけで生まれるのかって言われたらハッキリ答えられないよね。時代なのかもしれないけど、練習以外の草サッカーとかでしたトレーニング部分の比重は本当に重いと思う。

そんなお二人の原点である多摩市で、愛着のあるお店などありますか?

田村

ツボさんは鶴牧商店街とか行ってたんですか?

坪井

鶴牧商店街って…橋でしょ、スーパーのところの

田村

そうそうそう

坪井・田村

サントク!(笑)

坪井

サントクの隣に駄菓子屋とかがあって、マンションみたいになっていたんです。1階には駄菓子屋だとかいろんなお店がならんでいて。鶴牧商店街の駄菓子屋もしょっちゅう行ってたね。橋渡ってすぐの落合の文房具屋とかにも行ってたかな。

田村

僕も駄菓子屋はよく行ってた。橋を渡らないと行けなくて、国境を超えて外国進出してる感じでしたね(笑)

坪井

鶴牧と落合の境(笑)

バチバチしてたんですか?(笑)

田村

してはないよね。ただ、ちょっと一礼はしてた(笑)

坪井

ちょっと自分たちのテリトリーから外れた時に『入るなあ』ってのはあった

田村

トムハウスはありましたか?そこがめちゃめちゃ綺麗で、室内でトランポリンできるとか。そこで育ったようなもんですし、もちろん無料で、マジでよかったですよ!あと、落合商店街っていうのがもうちょっと落合側にあるんですよ。そこもすごくて、今はシャッター通りなんだけど。

坪井

トムハウスは無かったけど、落合商店街なら昔行ったことあるかも。お祭りとか昔やってた?

田村

やりますやります。落合商店街には花火とかお祭りがあるんですよ。それか、もう多摩センター。

坪井

あの辺のご飯屋さんとかいろいろ綺麗になったけど、昔はイトーヨーカドーしかなかったよね。サイゼリアとかマックとか、あの辺は昔なくて。俺が小6と中1くらいのときにサンリオとかできて一気に綺麗になってかなり衝撃的だったね。

当時と今では、景色もかなり違ったんですね。

坪井

そう。もっと殺風景というか。多摩センターがバンッてあってそっからパルテノンまでずっと上っていく綺麗な道があってていう。

田村さんは大学までが多摩で、その後仙台を挟んでまた多摩に。

田村

大学4年の22歳まで多摩にいて、貝取のエネオスでずっとバイトしてました。仙台での7年以外はほとんど多摩。何がいいかって生活するところと道路が空中都市なところですね。丘陵地を活かしたつくりなんだけど、かなりすごいっすよね。これは多摩オリジナルだなと思って。

坪井

俺もあれはすごいと思う。

田村

子どもたちは車とそんなに接触がなくて、親にとってもメリットがたくさんある。駅が栄えてるのに、生活する中でめちゃくちゃ自然があって、遊ぶところもしっかりあるのがいいですよね。

坪井

道路と人が通るところが完全に別なんですよね。あれを考えた人すごい。

田村

ほんとそう。僕たちがいた団地に、また新たにマンションとかURとかがしっかりつくられて、新しい人たちが来てるんですよ。今の子たちが第四世代くらいなのかな?
多摩が生まれ変わってくる段階で、自分も「若者会議」っていうのにちょっと出たりしていました。若者会議の40代以下の青年たちが、街を盛り上げていくっていうことで、多摩市って実際にかなり盛り上がってきてるんですよね。住みやすい街として色んなところから新しい人が来てるし、多摩は注目されつつある街なんです。

さすが、わかってらっしゃる!(笑)

坪井

本当にいい場所だと思う!

田村

ロケ地とかでも使われるもんね。聖蹟桜ヶ丘は「耳をすませば」や「平成たぬき合戦ぽんぽこ」だし。ピューロランドもあるし!魅力はたくさんありますね。

お二人が過ごしたような遊びやすい環境が、サッカー選手を生んだっていうのもありますよね。

田村

あると思う。サッカー面でいうと、ある時期に集まって大会やるとか、そういうつくりもサッカー選手を育てる環境としていいですよね。今は子どもが減っちゃってチームが合併したりしてるんですよ。貝取とかセブンティーンとか。近くにライバルチームがあるとか、とくに当時は環境もめちゃくちゃ良かったなと。

落合と鶴牧はライバル関係なんですか?

田村

うん、ライバルだったと思うよ。お隣だし。

坪井

俺らの時は断トツで落合が強かった。

田村

そうなんですね!

FC多摩というのは中学選抜っていう感じですか?

田村

小学校4・5・6年生の選抜チームみたいなのがあるの。そこに入るのが僕らのモチベーションのひとつで。「ああここに入ってんだ、すげーなー」みたいな感じですよね。FC多摩で初めてキャプテンみたいなことをやることになって、大学でキャプテンやってるのもそうだけど、原点は多摩でした。

坪井

僕は選抜に入って試合に出るくらいで。ずば抜けてみたいなのはなくて、俺よりうまいやつもいっぱいいました。

そのとき、プロになるイメージって既にあったのでしょうか?

坪井

Jリーグも無かったし、まだそのイメージはなかったかな。俺は中2のときからかな。日本リーグとかを観て、サッカーを仕事にしている人がいるんだって感覚はあったけどね。

田村

自分は小学校低学年くらいにJリーグが出来て、そこは明確に見えてました。小4くらいから多摩のなかでも自分の立ち位置が見えてきて『ああ、もうこれプロにならなきゃいけないんだな』って。ヴェルディに入るきっかけも、小6の時にブロック選抜があって、FC多摩から7~8人、ヴェルディから10人くらいで一緒にプレーしたんです。それですごい意識し始めました。僕らより上手い選手が多くいて『あ、ここで頑張んなきゃいけないんだな』って。改めて小6で自分の立ち位置とかが見えたんだよね。ヴェルディの選手たちとやることによってより明確に。

坪井

その時に菅野(菅野孝憲選手・北海道コンサドーレ札幌)とかも?

田村

そうそう。菅野、玉乃(玉乃淳さん)とか、そのあとプロになった根占真伍とか。彼らがベーシックでいて、そこに俺らが引っ張られるような感じ。『ああ、あのレベルに行かないと厳しいんだな』って、現実も小6で見れたんですよね。

近くにヴェルディのようなJクラブがいるってことも多摩のいいとこかもしれないですね。

田村

それはめちゃめちゃ大事だと思う。

仕事に限らず「人生で新しいことを始めたい」「次のステージに進みたい」っていう欲求が人を成長させると思うのですが、その一歩を踏み出すパワーがなかなか出なかったり、怖かったり、という人ってたくさんいると思うんです。新たなステージに進みだしているお二人から、背中を押すようなメッセージをいただけますか。

坪井

最近子どもにも伝えたことがあって、それは “考え方” がすごく重要ということ。サッカーでもなんでも、もちろんプレッシャーもあるし緊張もする。大人も子どもたちも、緊張やプレッシャーがあると『俺、ダメなんだ緊張してる。どうしようプレッシャーかかってる、どうしようどうしよう。ダメだダメだ』ってなるでしょう。

俺はワールドカップに出た経験があるけど、J2の試合だって試合前は緊張してた。そこで、緊張とかプレッシャーがあるときは『ああ、俺集中してる』っていう考え方に切り替えたんだよね。『ああ、俺集中してるわ今日。すげー緊張してる、集中してる』その考え方だけでも、緊張が嫌なものにならなかった。逆に緊張してないと嫌なくらい。

だから、何かに踏み出すときの不安とかって、あって当然。おそらくあんまり緊張しない人っていないと思う。『ああ、不安だな』と思ったときは『ああ、自分自身のことをちゃんと考えてるんだ』って思いなおすと、不安ってそんなに悪いことじゃないんだって考えられるようになる。もちろん簡単ではないと思うけど、不安があるってことはちゃんと自分の将来を考えてるってことだから。全然悪いことじゃないっていう考え方の変換がうまくできるようになって欲しいなって思ってます。

田村

僕は、大事なのは人と人との関わり合いだと思っているます。その中で、誠実さであったり、人を裏切らないことであったり、嘘を付かないこと。僕がこの36年の人生で感じたのはその部分。

やっぱりサッカー選手にしてもサラリーマンにしても、人間性が大事だと感じているので、次に新しいことをスタートするときとか、誰かから仕事をもらうときにも、自分の誠実さをとにかくもち続けていくことが大事だと思います。僕がいただいた次の仕事も、多くが自分の人間性や性格を評価してもらって繋がったものでした。

色々と悩んだり、色んな壁があったりすると思うんですけど、それは自分の誠実さとか人を裏切らないということを中心に考えていけば、そこで成功しなくても必ず何かが残ると思うんです。絶対に繋がっていくものがあるので。機械化が進んだとしても、僕は人間として大切なものは残っていくと思う。それが今、伝えたかったことです。

お二人の人柄や想いが、深く強く込められているように感じました。素敵なメッセージをありがとうございます!

田村

ぜひ、鶴牧商店街に行ってみてください!(笑)

TAKE TAMA!のオープン記念ということで、多摩市のレジェンドのお二人にお声がけさせていただいたところ、快く対談を受けていただきました。
丁寧にお話しいただく姿は、本当にお二人の人柄が現れており、なおかつ貴重で中身の濃いお話をお伺いすることができました。
今はそれぞれのフィールドで活躍される、坪井さん・田村さん。これからも、地元・多摩を盛り上げてくれることを期待しています!

坪井慶介×田村直也対談 前編はこちら
Writer/Interviewer:キウチトウゴ

日野生まれ、多摩市在住。くさび社所属。緑色のものを追いかけるのが好きです。夢は多摩市に銭湯を作ること。

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Photographer:ゆうばひかり

1994.5.28.生まれ。大阪府出身 東京都世田谷区在住。
ライブフォトグラファー・都市風景写真家としてフリーランスで活動中。

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