きっかけはひょんなことだった。
ある好きなバンドのTシャツを通販で購入すると、商品と共に「幼少期を多摩で過ごしたので、とても懐かしくなりました」という手紙が入っていたのだ。
ギターを掻き鳴らし歌うその人の姿と、物販を購入したいちファンの住所に昔を懐かしみながらグッズの梱包作業をする姿のギャップ。そのバンドの音楽を聴いて感じた、激情と郷愁の感覚の正体は、その人の人生そのものなのではないか。
「その人」の正体は、京都を拠点として活動する3人組ロックバンド、台風クラブのフロントマン、石塚淳さんだ。関東へのライブ遠征の合間に多摩までお越しいただき、話を聞いた。(後編)
- 取材/文
- 木内瞳吾
- 写真
- ゆうばひかり
- 編集
- 山末あつみ
- 取材場所
- おむすびカフェ くさびや(多摩市)
- 石塚 淳(いしづか じゅん)
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京都を拠点に活動する3ピース・バンド「台風クラブ」のギター、ヴォーカル。1986年生まれ、大阪府出身。
2013年京都で「台風クラブ」を結成、2014年に山本啓太(ベース)、伊奈昌宏(ドラム)の現体制となる。デビューアルバム『初期の台風クラブ』が第10回CDショップ大賞2018準大賞を受賞。2023年には待望のセカンドアルバム「アルバム第二集」を発売し、全国ツアーを回る。
バンドでは作詞・作曲だけでなく、グッズ制作なども自らの手で行っている。現在はバンド活動と並行し、ソロで弾き語りライブにも出演。実は幼少期に多摩市に在住歴あり。
台風クラブは、もっとマッチョになる
昨年YouTubeで公開された、台風クラブの活動を追ったドキュメンタリーフィルム『台風クラブ ドキュメント』を拝見しました。メンバーそれぞれ、生活やお仕事の都合があって、メンバーの住んでいる場所がバラバラになってもバンドを続ける姿が印象的でした。そこでおっしゃっていた、台風クラブは「もっとマッチョになる」という言葉の真意を教えてください。
- 石塚さん
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おれが京都でバンドをやっていた頃は、街のムードもあって、良くも悪くも学生気分だったんですよ。そんな中で、山さん(山本啓太・ベース)が最初に危機感を覚えたのかなと思います。「多分やけど、このまま遠距離になったら、お互い仕事やなんやで、徐々にライブも無くなっていって、なんだかんだで、バンドをやらんようなるんちゃうん」と言われて、おれも「それは嫌やな」って。「やったら、先にツアーのスケジュールを組もうぜ」という話になり、全国ツアー『遠足’23』の日程をすぐに決めて、会場を押さえました。それが2022年の12月ですね。メンバーそれぞれ遠距離に住んでいて、バンド活動もできるかどうかもわからんのに、ツアーの日程を先に組んだっていう。
だから、そうして活動する中で、「バンド自体がマッチョにならんとあかん」と思ったんです。というのも、前日夜まで働いて、ライブ当日早朝から現地までそれぞれ車を運転して、スタジオで2、3時間リハして、 ライブハウスへ行ってリハして、そんな状態で本番ブチかませんのかどうかみたいな。今まで求められなかったことを、求められているなと。かなり賭けではありましたね。
昨年は『遠足’23』で全国を廻られて、今後はどのようなことを考えていますか?
- 石塚さん
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バンドのマッチョ化計画が思っていた以上によかったんです。バンドを結成した中で、一番ぐらいにいい状態やなと感じて、今の形態でもいけるぞという自信に繋がりました。だから、次は作品づくりですよね。レコーディングなどをどうするのかというところで、また模索しなくちゃいけないなと。今まではメンバー全員が京都に住んでいたから、京都の馴染みのスタジオで録音して、リズム録りが終わったら、ギターやボーカルは、自宅や地元のスタジオで自分で録って、次は京都でお世話になっている『渚のベートーベンズ』というバンドの江添さんの家に皆で集まって、ミックス作業をするっていうのが、1stアルバムの頃からの流れなんです。それが出来なくなるので…。今のところ、おれが東京へ車で来て、東京で録ったほうが、効率がいいという話になっています。だから、そこも新たなチャレンジですね。
まだまだマッチョ化していきそうですね。
- 石塚さん
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そうですね。もともとバンドを始めたのが30歳頃で、山さんも前の会社でバリバリ働いていて、おれも子どももいて仕事しながら始めました。今も変わらずです。そうやって、大人になって始めたバンドだったからよかったと思います。二十歳の尖り方をしていなかったことが幸いしましたね。おれは、二十歳の頃に大阪で『西成ゾンビーズ』というバンドを組んでいたんですけど、その時みたいに性格が悪い感じでやっていたら、台風クラブも一瞬で解散していると思います。今は、全員に譲る心が備わっているので。
あとは、野心がなかったところもよかったなと。例えば、おれがメジャーデビューを目指していたら、「ほな、もっとやばいベースのメンバーを見つけてくるわ」と言っていたかも。そんな気持ちはまったくないですから。台風クラブは、今持っているカードで何ができるか、みたいなことをずっとやっている気がします。
ドラム、ギター、ベース、声の塊がデカい音で鳴るからこそ、何かしらが起こるんだなって。
甲本ヒロトさんが、「バンド論」という本の中で、「キングコングより、生身のゴリラのほうが怖い」と言っていて。それは、「目の前の人間の振る舞いが、現在進行形で自分の心を乱す」という話なのですが、台風クラブのライブを観た時に、まさにそれを感じて、心を乱されました。石塚さんはライブをどういう場として考えていますか?
- 石塚さん
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やっぱり、生で対峙するということはデカいと思います。音響によっては、頑張って作った歌詞の一部分しか聴こえないということもあると思いますが、ドラム、ギター、ベース、声の塊がデカい音で鳴るからこそ、何かしらが起こるんだなって。
やっぱりライブと楽曲制作では、意識することは全然違いますか?
- 石塚さん
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そうですね。ライブするのとレコードを作るのとではまったく違う意識が働いています。
グッズやレコードなど自主制作という点でも、こだわっているところはありますか?
- 石塚さん
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こだわっているというより、普通はバンドを組んで、「3曲ぐらいできたし、CD-Rでもいいから音源作ろうぜ」ってなったら、自分たちでやるじゃないですか。そうやって今までやって来たっていう、それだけのことって感じです。デザイナーの友達もいないですしね。
Tシャツも手刷りで作られていますよね。
- 石塚さん
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キネマ倶楽部のワンマン前はほんまにやばかったです。会場は650人ぐらいのキャパなんですけど、僕ってまともな人間なので、Tシャツを買いに来たお客さんに、「XLしかないです」と言って、サイズが選べないと申し訳ないと思っちゃうんですよ。でも選べる状態にするためには400枚ぐらいTシャツを作らないとあかんくて、精神錯乱状態になってしました。
400枚もお一人で!!
- 石塚さん
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昔、山さんが京都の西院に住んでいた時は、伊奈くん(伊奈昌宏・ドラム)とおれが山さんの家に集まって、おれがTシャツを刷って山さんに渡して、山さんが干して、みたいなことをやっていたんですよ。当時は、それも楽しくて、美しい光景じゃないですか。でも、10年近く経って一人で作っていると思わなかったですね。
そして、アルバムの特典だったミニコミ誌は、すごく読み応えがありました。石塚さんは文章を書くこともお好きですか?
- 石塚さん
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いやいや、まったく書いてこなかったです。台風クラブが最初にリリースしたジャケットのイラストを描いてくださった、ガレージパンク愛好家のキングジョーさんが『Soft,hell』というミニコミを作っていたんですけど、おれはそれがめっちゃ好きでした。10代の頃から、「いつかおれもこんなん作りたい」、「バンドの新聞を作りたい」と思っていて、2ndができた時に、「今しかないやろ」と思って、勢いで作ったんですよ。企画とかも勝手にでっち上げて、面白さとかどうでもいいから、とにかく物を作りたかったっていう。
ミニコミ誌の制作中は、台風クラブのファンのことを考えながら作っているんですか?
- 石塚さん
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考えてないです。音楽に関しては完璧主義みたいなところがあるので、ああでもないこうでもないと考えるんですけど、ミニコミ誌に関しては、おもろいとかおもんないとか、文章うまいとか関係なくって、とにかくミニコミが作りたいんや!っていう気持ちだけですね。例えば、高校生がブルーハーツのパクリみたいな曲でもいいから、オリジナルを作るんや! みたいな。そういう気持ちで作っているのが、ミニコミ誌です。ある意味、初期衝動的なものです。
恋人ができたら台風クラブのことは忘れてくれたらいいし、そういう関係やと思うんですよね。
音楽制作の面では、ファンの方を意識することはありますか?
- 石塚さん
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してないですね。していたら、もっとちゃんとリリースしろよって感じですもんね。お客さんがいることは、めちゃくちゃありがたいと思っています。だけど、お客さんを意識して何かをすることはないです。おれはお客さんじゃなくて、音楽を見ています。平たく言えば、台風クラブもポップカルチャーの一つだと思っているので、ポップカルチャーなんだから、別に都合よく好きになって忘れてくれたらいいって。恋人ができたら台風クラブのことは忘れてくれたらいいし、そういう関係やと思うんですよね。
ドキュメンタリーで「自己満足度120%、顧客満足度は知らん」とおっしゃっていたとおりですね。今後もその気持ちは変わらないですか?
- 石塚さん
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そうですね。台風クラブのことを知って好きになってくれた人が、レコードを買ってくれたり、ライブを観に来てくれたらいいなと思います。
- 取材/文:木内瞳吾
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日野生まれ、多摩市在住。くさび社所属。緑色のものを追いかけるのが好きです。夢は多摩市に銭湯を作ること。
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- 写真:ゆうばひかり
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1994.5.28.生まれ。大阪府出身 東京都世田谷区在住。
ライブフォトグラファー・都市風景写真家としてフリーランスで活動中。