生きるための糧とは何であろうか。人生の豊穣とは。迷い彷徨う人々が今日もその門を叩く。
荘厳なプロローグで幕を開ける漫画がある。忘れがたき、やれたかもしれない甘く切ない夜を振り返る『やれたかも委員会』だ。
SNSを駆使して作品を発表し、クラウドファンディングで書籍化。そしてドラマ化まで一気に駆け上がった『やれたかも委員会』作者の漫画家・吉田貴司さんは、立川を拠点に活動。SNSを活用した独自の取り組みや、『やれたかも委員会』の創作エピソードをたっぷりお伺いしたインタビューをお届けします。
- Writer/Interviewer
- キウチトウゴ
- Photographer
- ゆうばひかり
- 吉田貴司(ヨシダタカシ)
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2006年「弾けないギターを弾くんだぜ」でデビュー。
これまで「フィンランド・サガ(性)」(講談社刊)「シェアバディ」(作画:高良百)(小学館刊)などを発表。
2016年「やれたかも委員会」がネットで話題になる。
現在はゲッサンにて「中高一貫!!笹塚高校コスメ部!!」を連載。単行本は4巻まで発売中。
「自分でやるのって大変そうだけど、単純にかっこいい」
まず私自身、吉田さんを知ったきっかけが『やれたかも委員会』がTwitterでバズったことなのですが、それについて詳しくお聞きしたいです。
cakes(ケイクス)やTwitter、クラウドファンディングを活用されていましたが、最初に拡散されたのが2016年9月ですよね。
- 吉田さん(以下敬称略)
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もう7年前になるんですね。連載が終わってから仕事が全くなくなって何を描けばいいかもわからなくなってた時期ですね。世の中的にはちょうどその頃、Twitterに漫画をあげる人が増えてきた時期だったように思います。
自分も過去作が色々あったのでアップしていって、その中の1個がバズったという感じでした。
『やれたかも委員会』だけでなく、他の作品も。
- 吉田
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はい、自分がそれまでに描いた読切などを全部あげました。
Twitter漫画もとにかく毎日更新したり、荒ぶってましたね(笑)
漫画家さんって泥臭くたくさん書いて、徹夜して…みたいなイメージがありました。なので、自分が抱いていたものとは違う方が出てきた印象を受けたんです。
もちろん吉田さんもそういう時期があったと思うのですが、クラウドファンディングなどを使ってファンと交流して、「新しい漫画家の形」の方向へと舵を切ったきっかけは何だったのでしょうか。
- 吉田
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僕の師匠である佐藤秀峰さんの影響があると思います。2008年頃に僕は佐藤さんの職場に漫画のアシスタントとして入るんですけど、その頃は僕も漫画家は漫画を描くのが仕事だろ。って思ってたんですけど、佐藤さんはホームページを立ち上げたり契約書を作ったりと何でも自分でやられていて。僕はアシスタントしながら、「もうヒット漫画家なんだから、漫画描いてたらいいのに」と思っていたくらいなのですが…。でも一から企画を立ち上げてコストをかけて、自分で考えて新しいことを始める。そういう失敗も成功もそばで見させて頂くうちに、自分でやるのって大変そうだけど、単純にかっこいいなと思いました。
そうなると自分自身のことも見つめ直し始めて、僕は元々いい人と思われたいし、カッコつけなので、そういう性格だとこの業界では、色んなことを無自覚に受け入れてしまって、うまく生きていけないかもしれないと考えるようになりました。
自分で責任を取れる漫画家になりたいなと色々とチャレンジしている佐藤さんを見てそう思いました。
佐藤さんのもとで働いていたのは、2016年まで?
- 吉田
-
はい、連載を始めるために辞めて、打ち切られたら復職してを繰り返して、合計3回くらい辞めたと思います(笑)。Twitterで『やれたかも委員会』がバズってからはドラマ化と書籍化も決まり、それらに集中するために辞めることになりました。
3回目に辞める時に、佐藤さんから「相〜〜〜〜〜当〜〜〜〜〜頑張らなきゃ駄目だよ。」って言われたんです。(笑)その言葉がドキッとして、「もう戻れねえな。やれることは全部やろう」と思いました。クラウドファンディングもそれまでの僕なら「なんかよくわかんないからやらねー。」っていう考えだったんですが、その時は「何でもやらなきゃ!」という切迫感がありました。
「失敗しても成功しても自分で責任を負いたい」
別のインタビューでは『やれたかも委員会』の交渉について一切妥協せず、すべての申し出を断ってnoteで直販されている、と仰っていました。
- 吉田
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断ったというか、出版社で連載する道も考えてはいたんですが、僕の当時提示していた条件が「電子書籍の権利をもらえるなら出版社で連載します」ということだったので、その条件では契約が成立しなかったというのが正しいですね。でもまあその条件が通るとも思ってなかったので、まあ断ったってことか。
その前の『シェアバディ』という連載を雑誌で描いていたときに、あまり良い思いをしなかったので、漫画編集者全体に対してイライラしていたし、今回は失敗しても成功しても自分で責任を負いたいと考えていました。悪くいうと人間不信。良くいうと自己決断モードって感じでした。
やはり、電子書籍の権利をご自身で持っているということは、大きなメリットに。
- 吉田
-
すごく良かったです。2016年当時だからできた契約だったかなと思います。今はもう電子書籍が儲かるっていうのは明白だし、それなしでは出版社も商売が成り立たないから、多分どこも電子の権利は出してくれないと思います。
吉田さんはTwitterのリプライもたまに返してくれたり、近い存在として漫画家さんがいるのが凄く新鮮でした。それで、漫画の中に出てくる「やれたかも」の札のグッズがもらえるっていうのに惹かれて、クラウドファンディングも購入したんです(笑)
SNSだったり、クラファンの特典で会いに行ったり、読者とかこれからファンになってくれるような人たちに対して、吉田さんから歩み寄っていったという感覚なんでしょうか?
- 吉田
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歩み寄るとかは考えたことなかったですね。「クラファンのリターンで何がいいですか」みたいな打ち合わせをしてるときに、会いに行って話しを聞くとかどうですか、みたいな。全然それぐらいならできますよ、っていう感じで決めただけなんです。そんな喜んでもらえるのかどうかわからないままやってました。
結果、多くの方に会いに行かれて。
- 吉田
-
すごい楽しかったし、あれはやって良かったです。めっちゃ良かった。またやりたいです。
逆に、そこで掴んだ読者さんっていうのはやっぱり根強いというか、そういう面はあるかもしれないですね。
1年以上、ネットにずっと漂っていた
『やれたかも委員会』は、バズるまでは結構時間がかかりましたか?
- 吉田
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1年以上、ネットにずっと漂っていたと思います。
その間、「このやり方では駄目なんじゃないか」という不安は無かったのでしょうか。
- 吉田
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どうなんだろう…。でも本当に闇雲にやっていましたから。Twitter漫画のネタを一日中考えたり色々やっていたので、不安に思うヒマもなかったかも。出版社からは失敗作を2回描いたダメ作家という目で見られて相手にしてもらえないので、他にやることがないっていうか。どうなるのかってあまり考えていなかったかもしれません。
バズった着火点は覚えていらっしゃいますか?
- 吉田
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確か最初はよっぴーさんがリツイートしてくれたのがキッカケだったと思います。記念にスクショも撮ってあります(笑)
そこから、noteやcakesの方もフォローしてくれる方が増えていって。
noteは今やフォロワー40,000人!
- 吉田
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ありがたいですね。でもTwitterはあまり増えなくて。やっぱ僕の言うことよりも漫画に興味あるみたいで。それはそれで良いんですけど(笑)
noteの有料記事からの収入も、大きいのでしょうか。
- 吉田
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そうですね。でもこれがまた多分更新しなかったらどんどん下がっていくので、更新が命ですね。今止めてるからすごいマズいなと思ってます。(今年か来年必ず更新します!6巻も必ず出します。すみません!)
Twitterでバズったあとに、ドラマ化されました。
- 吉田
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2回ドラマ化していただいたことで、漫画を普段読まない人が作品を知ってくれたりしていて。でもドラマを見る人って、俳優の方のファンが多いんですよね。
実際の漫画を読んだら絵も下手だしがっかりされたんじゃないかと心配してます。
ドラマ化については早い段階から想像されていたのですか?
- 吉田
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Twitterでバズった時点でドラマ化の問い合わせが殺到しました。ここまで反響があるのかと驚きました。内容がドラマ向きだったんでしょうね。
でも僕個人としては普段ドラマを観ないので、俳優さんにも詳しくないし、監督におまかせという感じでした。
前編では、吉田さんの代表作「やれたかも委員会」がヒットするまでの経緯や、SNSやクラウドファウンディングを活用した独自の戦略についてのお話を伺いました。
後編では、独特なキャラクターが登場する吉田さんの作風や、ライフスタイルについてお聞きしています!ぜひ続きもお楽しみください。
「やれたかも委員会」を中心に、吉田貴司さんのマンガは下記のnoteでお読みいただけます!
連載中の「中高一貫!!笹塚高校コスメ部!!」の情報など、最新情報はTwitterでチェック!
- Writer/Interviewer:キウチトウゴ
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日野生まれ、多摩市在住。くさび社所属。緑色のものを追いかけるのが好きです。夢は多摩市に銭湯を作ること。
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- Photographer:ゆうばひかり
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1994.5.28.生まれ。大阪府出身 東京都世田谷区在住。
ライブフォトグラファー・都市風景写真家としてフリーランスで活動中。