東京の西側・多摩地区から、自らの道をゆく挑戦者たちに話を聴く、[ATTACK FROM WEST TOKYO]
#001はサッカーモンゴルリーグで活躍する現役プロサッカー選手の佐々木瑞穂選手にお話を伺いました。
諦めきれなかったプロサッカー選手への道のりや、モンゴルで活躍するまでに至った経緯。「道の途中」だからこそ見えてくる、悩みや葛藤、前に進める力は何だったのでしょうか。
- Writer/Interviewer
- キウチトウゴ
- Photographer
- 絵美里
- 佐々木瑞穂(ささきみずほ)
-
日野市出身・現役プロサッカー選手。モンゴルプレミアリーグ・BCH LIONS FC所属。
日野市の南平小学校でサッカーを始める。以降、七生中学、都立久留米高校を経てデッツォーラ島根、カマタマーレ讃岐、町田ゼルビアツヴァイテ、コバルトーレ女川、スペリオ城北、TFSCでプレー。2017年よりモンゴルに渡り、FCウランバートル、セレンゲプレス、デレンを経て現在はBCH LIONS FCに在籍。モンゴルリーグ外国人選抜に選ばれた経験も。
モンゴルのスポーツといえば相撲というイメージですが、サッカーの立ち位置はどんな感じなんですか?
- 佐々木
-
みんなプレミアリーグが好きで、自分たちの国のサッカーには全然関心がないようでした。でもここ数年、代表チームが少しずつ結果を出せるようになってきて、国内のサッカーの人気も明らかに上がってきて。ファンはまだまだ少ないけど、認知度とかテレビの試合の視聴率は上がってきてる感じはありましたね。
国として力を入れ始めてるのでしょうか。
- 佐々木
-
そうだね。サッカー協会も、育成の方にも力入れ始めてました。
でもやっぱり相撲がすごい。年に何回も大きいトーナメントがあってそれはテレビ中継でみんな観るし、スタジアムに押しかけて生で観る人もいるし。
日本の相撲も毎日テレビで観られるから、年配の人は曙とか知っているし。朝青龍は別格の英雄って感じだね。
モンゴルって格闘技が大好きで、サッカーも格闘技っぽくなっちゃうみたいな。とにかく闘争心がすごい。
現地では朝青龍さんとも交流があると聞きました。
- 佐々木
-
朝青龍さんとは、自分がお世話になっている人が経営している日本食レストランで紹介してもらいました。「今来てて会ってくれるってよ。来るか?」と。「行かせてください!」とすぐに会いに行ったら超怖くて。オーラがすごかったです。
日本で言ったら、カズとか王さんとかそういうレベルですもんね(笑)
- 佐々木
-
そう。「うわ、本物だ……」と思って。でもしっかり目を見て話してくれて。
途中で息子さんも来てくれたんだけど、俺のことを知っていてくれて。「この人モンゴルで有名なサッカー選手だよ。すごくいいセンターバックの選手なんだ」と紹介まで!それで朝青龍さんも「あ、そうなのか」と。当時、息子さんは小学校低学年とか中学年くらいだったかな。
サッカー好きのモンゴルの子どもには知られてる存在だったんだ!
- 佐々木
-
やっぱり、テレビはみんな観るんだろうね。
モンゴルでの選手生活は順調に進んでいったんですか?
- 佐々木
-
1番初めのチームに1年間いて、2年目もやろうってなったんだけど、提示してもらった条件があまりにも低すぎて「ちょっとこれではできないです」と伝えました。
それで、自分から他のチームに売り込んでいたら、対戦したチームが俺のことを気に入って獲ってくれたんです。日本人がいないチームだったけど、すごくいい経験になりましたね。
-
子どもたちのコーチもする契約で給料もすごくよかったんだけど、いざ始まったら忙しさからなのか、疲労も蓄積されて体調を崩しちゃって。監督に「コーチの仕事を減らしてもらうことはできますか?」って聞いたら「できない」って言われました。たしかに契約条件ではあるから「それなら今年はプレーできないです。日本に帰ります」と言って帰ってきたんです。
-
でも、異国の地で子どもの指導をさせてもらったのはいい経験になったし、自分のサッカー観も広がりました。
とはいえ次をどうしようかと思いながら、日野市で草サッカーやりながら半年。お世話になったモンゴルの監督が新たにチームを立ち上げるということで「うちに来い」と言ってくれたんです。
3部リーグで正直レベルは低いけれど、すごくいい条件を提示してくれて、その熱意に負けて「行きます」と即答しました。
でもいざ始まってみたら球際は激しいし全然簡単じゃなくて。最終的に優勝して最優秀ディフェンダーを貰うことができたので、そこではかなり成長させてもらいました。
モンゴルで、日本人サッカー選手はどういう風に見られているんですか?たとえば、日本にブラジルから選手が来ると経歴を知らなくてもなんとなく凄いんじゃないか、と思いがちですが。
- 佐々木
-
ある程度の信頼感はあるようです。でもある程度。経歴がすごくても力が及ばないなって日本人もいるし、モンゴル人に対するリスペクトや協調性のない奴もたまにいる。
その国のサッカー、文化に馴染む努力は絶対に必要なんじゃないかなと思いますね。
その努力を意識して取り組んでいたんですね。
- 佐々木
-
まず、言葉は覚えたほうがいいなと思った。まだ現地レベルではないけど、コミュニケーションは問題なくとれるようになりました。
そういえば、モンゴル出身のお相撲さんはみんな日本語上手ですしね。
- 佐々木
-
モンゴルの人は追い込まれると、生きてく上で必要な技術とか、やるべきことを確実にする能力が高いようにみえました。追い込まれないと超のんびり(笑)
サッカーにも、良くも悪くも表れてると思います。
スイッチが入ったときのチームの一体感は日本ではなかなか味わえない。それがモンゴルでサッカーをしてて一番面白いところですね。
サッカーにも国民性が現れているんですね。そんなモンゴルで、今後の目標やビジョンがあったら教えてください。
- 佐々木
-
自分はできる限りずっとモンゴルにいてサッカーをやりたいんです。
日本でプロにもJリーガーにもなれなかったけど、モンゴルのサッカーが自分を大きく成長させてくれたから。
その一方で、日本のどのカテゴリでもいいからプロ契約でもう1回チャレンジしてみたいなって気持ちもあります。
たとえば、引退後はモンゴルで「指導者になる」とかも、考えていますか?
- 佐々木
-
うん、考えています。でも、日本の若い選手や子どもたちに「サッカー選手として日本でやるだけが全てじゃない、いろんな可能性があるんだよ」ということを伝えられたらいいなって。
そういうイメージが小さいときからできてると、熱の入れようが変わってくるんじゃないかって思うんです。
小さい頃、みんなJリーガーになりたがったけど、サッカーを続けていと、次第に現実的な目標ではなくなってきてしまう。
でも、色々な選択肢があれば、サッカーが好きで本気でやっていたら「ずっとプレーを続けていきたい」って思いが芽生えてくると思うんです。自分がそうだったように。
さいごに、今はモンゴルの生活が中心ですが、地元日野に帰ってきたときはどう過ごしていますか?
- 佐々木
-
やっぱり自分は地元の日野市が大好きで。東京なのに自然が多くて落ち着くし、でもそんなに不便じゃないし、空気が綺麗。モンゴルいるときにも思い出して「どこでもドアで帰りたいなー」って思うときもある(笑)
実家の近くに「エビスヤ」ってカレー屋さんがあるんだけど、そこのカレーを小さい頃からずっと食べていて。キーマカレーとインドカレーがあって、ナンじゃなくてライスなのね。で、カレー屋なのに謎に八王子ラーメンがある店で(笑)そこのカレーとラーメンが好きで、帰国したらスーツケースを持ったまま直行するんです。